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支部の紹介


代表からのご挨拶

 認知症の人と家族の会広島県支部は2021年(令和3年)5月に結成40周年を迎えました。医療や福祉の専門知識を持たない介護家族が、今日まで活動を続けることができましたのは、物心両面にわたる関係機関の皆様のご支援があったからに他なりません。衷心より感謝申し上げます。
 広島県支部の結成は、1981年2月の早川一光先生との出会いから始まりました。「ぼけ」を看る先生が岡山で講演されるとの話を聞いて、「ワラをもすがる思い」で広島県の家族で会場へ駆けつけたのです。
 当時、認知症の人や家族は、周囲や社会の偏見・差別にさらされていました。「京都には仲間がいるよ。いらっしゃい」講演会場でお目に掛かった早川先生の優しい言葉に、「私一人ではないんだ」と、どれほど勇気づけられたことでしょうか。
 早速、本部の三宅貴夫先生や広島県精神保健センター長の今田寛睦先生、広島県社会福祉協議会の宮本秀夫課長さん方と支部結成に向けて準備を進めました。
 5月17日、三宅先生にご講演いただき、100人の参加者の中から、介護家族5人で「呆け老人をかかえる家族の会広島県支部」を結成しました。全国で12番目の支部でした。
 マスコミで報道されると、会の名称に対して厳しいご批判をいただき、関係者と相談して「老人呆けの人を支える家族の会」に変更しました。今、振り返ってみると、本人目線の名称にして良かったと安堵しております。
 それから40年余り、介護家族が日々の悩みを共にしながら、認知症の理解・啓発や行政への提言などに務めてまいりました。
 結成40周年に合わせて2021年5月に予定していた第40回記念大会は、コロナ禍の影響で2度にわたって延期を余儀なくされ、ようやく2021年10月に広島県医師会館を会場に開催することができました。共催をご快諾いただいた広島県医師会様には、感謝の言葉もありません、

 第40会記念大会では、今は亡き早川一光先生のご子息早川岳人先生、早くから家族の会を支援くださり、「介護保健の生みの親」ともいえる樋口恵子先生、山口県支部代表で本部理事の川井元晴先生のお三方をお迎えしました。講演会とシンポジウムでは、人生100年時代を生き抜く知恵と勇気をいただきました。
 記念誌「40年のあゆみ」も当初、2021年秋ごろの発刊を予定していましたが、新型ころなウイルス流行の第5波到来で大幅にずれ込んでしまいました。コロナ禍で2021年に開催された「東京オリンピック2020」のひそみに倣って、本記念誌も「40年のあゆみ」のタイトルのまま刊行させていただきました。
 ご寄稿くださった皆様やご寄付を頂戴した方々には、大変なご心配とご迷惑をお掛けしましたことをお詫び申し上げます。編集作業が遅れる中で、40年記念大会での樋口恵子先生の講演録を掲載できましたのは、「不幸中の幸い」です。
 結成50年となる2031年ごろには、国民の約3人に1人が高齢者となり、さらに高齢者の5人に1人以上が認知症になると推測されています。
 「認知症になっても安心して暮らせる広島県」としていくために、みんなが手を携えていくことを願い、ご挨拶とさせていただきます。
 今後ともご支援をいただきますよう、よろしくお願い申し上げます。
 
    (公社)認知症の人と家族の会 広島県支部世話人代表 村上 敬子
           

 



ご 挨 拶

     40年ひと昔
 「認知症の人と家族の会は何をしていますか」と尋ねる人も少なくなりましたね。「家族の会」の認知度急上昇1「家!「家族の会」広島県支部が発足して40年が経ち、「家族の会」をめぐる状況が著しく変わりました。
 40年前、早川一光先生、長谷川和夫先生が、広島では村上敬子さん達が活躍され、その輪が大きく広がりました。40年間のご努力のお陰であり、頭の下がる思いです。

1.40年間で認知症発病の解明
 1982頃、認知症の起こり方はほとんど分かりませんでした。その後の研究により、認知症発病の概要はほぼ解き明かされました。それを基に、正確な診断が可能になりました。ドネペジル塩酸塩が1999年の発売されて、記憶力改善に効果があります。ただ、病気の治癒や予防は今後の課題です。開発の努力を!
2.認知症の人の増加
 医療の進歩により、感染症の治癒が可能になり、寿命が延びました。しかし、認知症の予防や治療がいま一つ進まず、認知症の人の数は増える一方です。何とかしなくては!
3.認知症の話題の増加
 認知症の人が増えるにつれて、自分も認知症になるのではないかと心配になり、認知症について知りたくなります。認知症についての正しい情報が一般の人に知れ渡ることは、医療の上でも大切なことです。正確な情報を!
4.介護保健制度の発足
 2000年に介護保険制度が発足しました。それにより、認知症の人や家族の生活に大きな福音となりました。介護施設が新設され、デイケアやデイサービスの利用、車いすなどの介護用具、訪問リハビリテーションなど、認知症の人と家族に大きいメリットとなりました。家族の会との連携を!
5.地域との連携
 少子高齢化が進むにつれて、家族など人口が減り、地域との連携がが必要になります。訪問医療・介護・リハビリテーション、福祉関係の人々、企業関係者、地方自治体の人々とコミュニケーションを密にすることが必須です。新しい地域を目指して!
6.若者との交流
 認知症は加齢を基礎とした病気なので、若年期から認知症など高齢期疾患を予防することが望まれます。認知症予防は中年期以降では手遅れで、若年から予防を目指して、若者との交流が望まれます。若年期予防を!
7.貴重な40年間の蓄え
 40年間、「家族の会」が蓄えてきた認知症の人に関する知恵を高齢化社会の様々な組織に指導し、今後の世界を住みよくしたいものです。その世界で、認知症の人やその家族の生活がより豊かになることが望まれます。先輩の知恵を!
8.共存と共栄を
 種々の違いを認め、多様性を尊重しながら、お互いに共存し、共栄しながら暮らせる社会を模索したいもの」です。その一員として認知症の人を包み込む気持ちで、少子高齢化社会を実現したいものです。お互いを認め、尊重する社会を!

             広島県支部顧問 ・広島大学名誉教授  中村 重信




 広島県支部 結成40周年おめでとうございます
 認知症の人と家族の会 広島県支部の結成40周年、誠におめでとうございます。これまでの世話人をはじめとしてk死因の皆様のご尽力に敬意を表します。本会の特徴は「認知症の人」と「家族」という、「当事者」と「それを支える方」の会であることだと思います。医療では解のない問題について多くの叡智を積み重ねて来られました。私の座右の銘は「継続は力なり」ですが、気会はまさにそれを実践されtれいます。(ちなみにこの言葉をネットで検索すると、広島県出身の住岡夜晃の「讃嘆の詩」に由来するとの説が有力のようで、縁を感じずにはいられますん。)

 結成当時は「痴呆」と呼ばれ、治療薬すらなく、関係者のご苦労は筆舌に尽くし難いものであったと推察いたします。当初、医師からは「治療法がないから」と相手にされなかったとも伺っています。貴会の地道な活動により、徐々に疾患の理解が深まっていき、現在では国に施策でも重点疾患として取り上げられるようになりました。しかし「ながら未だ、一般の人の理解が十分とは言えず、医療機関への受診を嫌がる人がいるという状況です。

 私自身が認知症と深く関わるようになったのは、2000年前後にアルツハイマー型認知症の遺伝子について研究するようになってからです。
 2006年から広島県の認知症サポート医となり、県内のオレンジドクター養成に関与するようになりました。また2008年から広島県認知症地域支援体制推進会議の委員として、いつも村上代表の隣の席で参加させていただいています。この会議の活動を通じて、認知症疾患医療センターの指定やオレンジパスポートの作成・運用を進めてきました。
 2009年2月に広島県が主催の「認知症にやさしい地域をめざして」というシンポジウムでは「認知症は病気である」ということをお話ししました。しかし、未だ認知症に羅漢していることを隠そうとうする傾向も見られるなど、道半ばという印象です。

 国の施策は「認知症施策推進大綱」に基づいて対応が進められ、これから認知症基本法案の成立を目指しているところです。大学としては認知症に関する研究を進め、学生・若手医師の指導を行い、認知症診療のレベルアップに務めていく所存です。
 今後の貴会のますますのご発展を祈念するとともに、認知症が本当の意味で治療可能となるよう、我々も精進していきたいと思います。

      広島大学副学長・同大学院 脳神経内科学 教授   
      家族の会広島県支部 顧問
                       丸山 博文